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うちのからし菜の花とミツバチたち [日々の生活のこと]

今、うちの庭のからし菜(菜の花科)の花が満開で、ほとんど庭を占領していて、
ちょっと迷惑気味ではあるけど、切るに切れない。
そして、このところずっとミツバチが蜜を吸いに来ている。
朝、日が照りはじめた頃にやってきて、お昼頃には帰っている。
めんこいなーと思う。

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タロット、ソードの8の意味するものは・・・ [いろいろ思うこと]

タロット占いの仕事では、ウェイト博士がパメラ・コールマン・スミスに描かせたタロットデッキ、いわゆるウェイト版を使っている。
最近のタロット占いの仕事で、その人の未来に「ソードの8」が出た。絵柄は、8本の剣に囲まれるようにして、目隠しされ縛られている臙脂の服を着た女性が立っている、という図だ。
ソードは剣であり、ソードのスート全体を通して暖かみのあるニュアンスは少なく、ソードの8もその例にもれず、剣に囲われ縛られて・・・、というものだ。
ほとんどセッションの終盤になってからのことではあるが、8本の剣に囲われているのではなく、守られているのかもしれないという考えが浮かんだ。緩く縛られたその図からしても「囚われている」という意識から離れてもいいのではないだろうか。
彼女は目隠しされ縛られてはいるけれども、彼女自身の思考や意識は縛られることはない、むしろ、何かを思考するために、あえて言えば、精神的な成長のためにそのようにしているのかもしれない。
それは、例えば「さなぎ」に似ている。そう思ってこのアルカナ(カード)を見直すと、彼女の姿態はさなぎに似ている気もする。
完全変態。たとえば蝶などは幼虫から成虫になる途中の段階でさなぎになる。そのとき、さなぎは、その中で一旦どろどろになり、そして、成虫である蝶の形を作り直す。
ひとは、身体の形こそどろどろに溶けはしないものの、意識・思考においては、自分のものの見方や握りしめている正しさなど、手放し変化してゆくとき、意識世界はどろどろになっているのかもしれない。
その時は非常に不安定であり、自分の身体もそうであるが、自分の意識世界もあるところで守ってもらう必要があるのかもしれない。













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幸せですか、と問われ…… [いろいろ思うこと]

江戸時代なのだろうと思うのだが、家が貧しく女郎屋に売られたある女性の句でこのようなのを聞いたことがあある。

恨むまい、恨むまい、これも我が選びし道  

正確ではないかもしれないが、このような韻であり、意味だった。「売られた」境遇で、それでこのように詠むのかと思うと凄みを感じる。自分から選んでこのような状況になったわけではないのに、それでも「我が選びし道」と言い切れるこの感じは、私には強烈だった。
曲名は知らないが、戦後の頃の曲に「♬こんな女に誰がした〜」という一節があったが、そんなふうに人のせいにしてしまいたいところだが、「我が選びし道」と他を寄せ付けないところに、何とも言えないものを感じる。

先日、
「いま、幸せですか?」
とひとに聞かれた。
そんなことを聞くのはさだまさしくらいだろうと思うが、まあ、実際聞かれた。
そう聞かれて、

幸せも 中くらいかな おらが秋  (おそまつ)

と一茶先生の句をもじって答えた。

不満や納得できないことや辛いことなどは、たくさんある。
「おれって、不幸だな〜」などとは思わないが、かといって、
「おれって、幸せだな〜」でもないだろうと思う。
幸も不幸も安物の物干し竿の上で戯れているような感じがする。

ちょっと前のことになるが、ラジオに自称「忍者」が出ていた。
忍者はサイドビジネスで経営コンサルタントをしているということだった。
(忍者の方がサイドビジネスかもしれないが)
その忍者が言うには、

「何か不都合なことがあったら、『それはちょうど良かった』と言葉にして言ったらいい」

というのだ。
そう言葉にすると、脳がちょうど良かった理由を探す、というのだ。
なるほどね。

幸せだ、と言ったら幸せである理由を探すだろうし、
不幸だ、と言ったらきっと不幸な理由を探し出すのだろう。

それにしても「我が選びし道」というのは、幸、不幸を超え、自分の人生を生きているからこその凄みなのかもしれないなと思う。
とりとめのない話になったが、「ちょうどよかった」。



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