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こんな子孫ですいません・・・ [田舎のこと・母のこと]

先日、ちょっとした思いつきで、上杉藩とほにゃらら、で検索したら、Wikipediaというのに、どうもご先祖様らしい人が出てきたので驚いた。
それを読むと、今は市に組み込まれているけれども、同じ名前の赤湯という村の、「あぶらや」という町人宿の生まれとある。ぼくが生まれたときには八百屋をやっていたが同じ「あぶらや」だった。同じ村に同じ屋号はないはず、商売は変わったけれども同じ「あぶらや」としか考えられない。
中学生頃に、母に「ご先祖様に頭のいい人がいて、東大で医学を勉強して偉くなった人がいる」と聞いたことがあった。(当時の母の気持ちとしては、だからおまえも頼むから少しは勉強しろ、と)読んでいると明治時代に医学でベルリン大学に留学していたり、後年は金沢医科大学(今の金沢大学)の学長をしたとある。遠いご先祖様、いやいや、たいしたもんだことと思う。
興味深かったのは、著書の中に『写真小話』というのがあったこと。今は便利なもので、写真に撮ったものがインターネットにアップされていて、ぱらぱらとめくってゆくと、化学式なども多く出てくるあたりは、さすがに医学博士だ。「写真は芸術か否か」ということにもちょっと論考しているあたりもおもしろい。科学する人として写真は大いに興味があったろうが、それにしてもこの時代に本格的に写真の技術について書いているのはすごいことだと思う。ぼくの気がつかないところで、このご先祖様から写真についてのことを学んでいるかも知れないな、と思うと、なんだか巡ってゆくものを感じる。
化学のことが出たので、ついでにというか。ぼくは高校生の時に、化学Ⅰだったか化学Ⅱで、7点をとったことがある。もちろん、100点満点の試験で。全く自慢にはならない。化学は不得意中の不得意だったが、我ながらさすがに驚いた。子孫のためにはちょっと内緒にしておいた方がよかったかも知れない。ちなみに、得意な科目はなかった。なんせ「潜水艦時代」だったし。ご先祖様とのこの大きな違い。
著書の中にはなぜか『掃除の仕方』というのもあって、これも個人的には興味深い。
母は昭和6年の生まれだったが、昭和9年に亡くなっていらっしゃるこのご先祖様、いったいどういう方だったのかと夢はちょっとふくらむ。

うちの墓は、赤湯というところのはずれにある東正寺というお寺さんにあるが、このご先祖様も墓所はこの東正寺とある。金沢で学長として勤めたあと晩年は赤湯に戻ったのだろうか。まさか。ひょっとしたら、あそこのうちのお墓にいっしょにいるのだろうか。まさか。いずれにしても、ご住職にうかがって、一度手を合わせたいと思う。
そのときには「こんな子孫ですいません・・・」と忘れずに謝らなければ。






http://ja.wikipedia.org/wiki/須藤憲三
近代デジタルライブラリー『写真小話』
コメント(2) 

コメント 2

樋口輝雄

かつて烏帽子山の麓にあった佐藤医院の親戚で樋口と申します。日本歯科大学新潟生命歯学部「医の博物館」に勤務し、主に明治期の医学史や医療史を研究しています。須藤憲三のことにつきましては、日本医科大学の先生方が日本医史学会で発表されていますが、改めてその事績を辿りたいと、現在資料を収集しております。
私は山ノ上佐藤医院の3代目富士の孫で、先年亡くなった4代精一は伯父にあたります。富士は憲三の従弟で、長姉のとくが憲三に嫁ぎました。
幼いころ、もう半世紀以上前ですが、毎年夏は母の実家の赤湯ですごし、須藤家のことを「下のうち」と呼んでいた記憶があります。ご返信いただければ幸甚です。
by 樋口輝雄 (2018-02-07 16:19) 

sutou

樋口様、
返信の遅れをお詫びいたします。
何からお伝えしたらいいかわかりませんが、私も興味があり、
ご協力できることはさせていただきたいと思います。
私の生家は、佐藤医院のすぐ隣、当時は八百屋をやっていました。
フェイスブックはやってますか?
この旨を書いて「須藤宏」さんに連絡を取ったらいいと思います。
憲三先生のお孫さんにあたるかたで、オルガン工房をしています。
私はお会いしたことはありませんが、憲三先生のご縁で知り合いました。
個人情報も書いてますが、まあ、このあたりは大丈夫でしょう。
私のブログで
http://domus.blog.so-net.ne.jp/
こちらの方には電話番号も書いてあります。
こんなに遅くなってしまって、重ねてお詫び申し上げます。
by sutou (2018-02-15 21:24) 

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