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「この先、行き止まり」 [日々の生活のこと]

30年も前のこと、下北沢に暮らしていた頃のことだ。
今の下北沢はどうなっているか知らないが、当時の下北沢はとにかく道が入り組んでいた。細い路地が多く人ならともかく車は通れるのかねえ、と思ってしまう道が少なくなかった。
下北沢駅南口に近いところで、ある路地の入り口に
「この先、行き止まり」
の縦長の看板が電柱にくくりつけられていた。そこに入ったことはなかったが、車で通る度に気になってしかたがなかった。どうしてその路地が気になったかといえば、その路地を通り向けると線路の向こう側、つまり駅の北口の方に出られそうな感じがするのだ。ここが通れたら、ここが抜け道に使えたらと思うのだ。
中古の車でカメラマンの仕事に出かけていたのだが、あるとき勝負してみようとその路地に車で入っていった。すぐに行き止まりだった。よそ様の駐車場で切り替えさせてもらって路地を出ようとした。
その出口、例の「この先、行き止まり」の看板のウラには
「だから言ったろう、バーカ!!」
と書いてあった。
思えば人生行き止まりによく出会う。
行き止まりに出会うのは、変なところに入ってゆくからだな・・・。
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ヴィゴツキーの「言葉」 [カウンセリング・心理のこと]

ベラルーシ共和国(旧ソビエト連邦)の出身でヴィゴツキーという心理学者がいた。(学者によってはヴィゴーツキーとも表記。たぶんこっちの方が発音に忠実だと勝手に思う)
「内言」の研究なども有名で、この内言というのは何かというと、簡単にいうと頭の中で言っている言葉のこと。
たとえば、人に話すときには
「わたしは、今ちょっと頭痛いんですよね……」
というようになるが、実際頭の中では(内言では)
「頭いてえんだよな……」
などのようになったりする。主語がつくことはほとんどない。
あるいはこんなことにもなる。
話される言葉では
「あ、課長大丈夫ですか、おけがはないですか」
なのに、内言では
「まぬけだよな、こんなところですっころびやがって」
だったりすることもあるかもしれない。
前書きが長くなった。
ヴィゴツキーの言葉でこんなものがあった。

意識は、
太陽が水の小さな一滴に映し出されるように、
言葉の中に映し出される

美しい言葉だと思うし、彼の理論も人柄もよくは知らないが、ヴィゴツキーその人と彼の理論を映し出しているのかなと思えてしまう。











参考『ヴィゴーツキー心理学』(中村和夫著)

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真冬のアララト山 [旅のこと]

26歳の冬、イランの首都テヘランの中央バスターミナルから、トルコの黒海沿岸の町トラブゾン行のバスに乗った。
その当時はイランイラク戦争の最中で、イランの国内でも検問が頻繁にあったし、イスファハーンに泊まっていたときには、実際すぐ近くに爆弾が落とされ、ホテルの窓ガラスがピシピシピシピシと割れんばかりの音をたててしなった。
イラン国内はそんな状態だったから、午後に出発したバスは、夜になってからところどころでヘッドライトを消してスピードを落として走ったりした。そんな状態だったから、国境に着いたのは真夜中を廻っていた。
明け方までの数時間、エンジンをかけ暖房を効かせたバスの中で待たされ、そして、夜明け直前にバスから降ろされた。
イミグレーションは少し小高いところにあり、そのせいもあってか待合室は底冷えがしていた。
遠くの空が白むのが薄い窓ガラスを通して見えた。眼下に雑木林かと思える黒い何かが広がり、そのはるか向こうに音を立てずに朝が近づいてくる。
少し様子がわかるようになると、雪をかぶった山があった。
アララト山。
地図で見ていたからそうだとわかったのだが、晴れ渡った冬の静謐とした空気の中に遠くひっそりとたたずむ。ゆったりと裾野を広げた白い単独峰。
冬の張り詰めた空気の中であくまでも凜として、高貴でさえあった。

しばらく眺めていたが、出入国の手続きが始まった。
私はアララト山にお別れを言った。







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