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トルコのチャイ屋では僕は超能力者だった [旅のこと]



トルコでは、「地球の歩き方」には決して載ることはないだろう小さな町でもよくバスを降りた。
町のたたずまいや、どんなふうに人は生きているのだろうかと思い、いつもいくらかの期待を持ちながら降車したものだった。
明るいうちであれば、何はともあれチャイ屋を探して休む。
田舎の町に限らず、トルコではそこここにチャイ屋がある。トルコのチャイ(紅茶)は、ほとんどの場合小さなグラスのカップに砂糖の多い紅茶がでる。熱い紅茶を受け皿に注いで少し冷まして飲んだりもしていた。
チャイ屋にはたいがい正方形のテーブルがあり、それを囲んで人生の先輩たちがカードゲームをしている。全国的によくやっていたのはセブンブリッジのようなゲームだった。
僕はその隣の正方形にひとりで座り、チャイを飲みながら男たちをなんとなく見る。
ゲームが終わったタイミングで、エクスキューズを入れてちょっとだけカードを貸してもらう。
貸してもらったトランプをシャッフルして一人にカードを「一枚」引いてもらう。
我が輩がそれを当てる。トルコ語でたとえば「ダイヤの8!!」のようにもっともらしく言うと、それを見ていた男たちは「オッー!!」と驚き、歓声を上げる。
もう1回やってくれなどと言われるが、超能力だから1回やるだけでもものすごいパワーを使うからもうできないと言って丁重に断る。決してばれるといけないから、ではない。
男たちはゲームに戻り、僕は僕の正方形にもどりチャイの残りを飲む。

勘定してもらおうとレジにゆくと、店のおやじは手を後ろに組んで首を横に振る。
お代はいらないというのだ。
あそこの人たちが払ってくれた、と嬉しそうにさっきのテーブルを指さす。
男たちのテーブルに行ってお礼を言うと、男たちは口々に「凄かったぞ」「明日も来いよ」などといいながらこれまた嬉しそうにしている。
僕は曖昧な返事と曖昧な笑顔を浮かべて店を出る。明日はもういないと思いながら。





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イエメンの濁流 [旅のこと]

首都サナアのYさんやSさんのところに居候をさせてもらいながら、国内のあちこちに撮影旅行をしていた。

そのときは、昔の南イエメン側、それもだいぶオマーンに近い方に撮影に行っていた。
おんぼろなバスで変わり映えのしない茶色の土漠の風景を、ひたすら東へ向かっていた。路線バスはエアコンなどあるわけなどなく、風がないよりはいいので、熱風を受けながらペットボトルの水を飲み続けていた。
村もないところでバスはゆっくりとため息をつくように停止した。何事かと前方を見るとトラックやバスが列をなして停まっている。
乗客たちはぞろぞろとバスを降りて先の様子を見に行く。バスやトラックや乗用車が30台ほどもずらっとならび、その先には、上流のどこでどれほど雨が降ったのかわからないが、低い地鳴りをたてながら濁流が流れている。川幅は50メートルほどもあったろうか。

ワディ(川、枯れ川)に水が戻ったのだ。枯れ川というのは日本人には少しわかりにくいが、乾季などの雨がない季節には全く干上がってしまい(そうである方がほとんどだが)、ごくまれにこうして流れが戻る川のこと。ふだんは流れがないので、橋を架けたりせずに川底を横切って通る。

濁流ではどうしようもない。流れが退くまで待つしかない。
足止めを食らった人々の多くが、することもなく珍しい濁流を眺めていた。
すると、川の向こう側から、二十歳前後とおぼしき数人の若者が、叫声をあげながら渡り始めた。
それにつられるようにして、こちら側からも向こう側からも若者たちが、おれが一番に渡りきってやると言わんばかりに騒ぎ立てながら渡り始めたのだった。
流れの中程にもさしかからないうちに、若者たちは濁流に足を取られ次々と濁流に流され、あれほど騒ぎ立てていた声も濁流に沈んだ。あっという間のことだった。
流されながらもたまたま岸に押しやられ、近くの灌木につかまることができた者もいた。流された者の中には、見ているうち空をつかむようにあがいていた手が沈み、うつぶせになりそのまま流されていった者もいた。

騒動がおさまり人々がバスに戻り、戻ってきた老人のひとりが
「二人死んだ」と言っていた。

アラビアでは、「水がなくて死ぬことよりも、水で死ぬことの方が多い」という言葉があるやに聞いたことがあった。




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ソーアン、トルコ語でタマネギのこと [旅のこと]

20代の後半ころに、インドからエジプトまで1年間バックパッカーをやっていたことがある。撮影旅行といってもいいが、どちらにしても超貧乏旅行だった。
トルコには3ヶ月以上滞在し、ほぼ一周した。ほとんどは安宿に泊まるのだが、古代遺跡の円形劇場に野宿したりもしたし、カッパドキアの岩に掘られた穴倉に寝たこともあった。学生たちが共同で借りているアパートにしばらく泊めてもらったりもした。

安食堂では大鍋に数種類の料理が並べてある。当たり前だがどれもトルコ料理でトマトベースのものが多く、挽肉料理だったり、ナスの煮物であったりした。日本人には口に合う。
それぞれの鍋ごとにひと皿いくらと値段があって、これくださいと指をさして注文する。それをテーブルの上のかごに入ったパンを適当にとって食べるというスタイルだった。付け合わせとして生のタマネギがつくことがあった。小ぶりで半切りにしてでることが多かった。
なんせ貧乏旅行なので、料理を半分注文したりもした。そうすると、笑顔でうなずいて、ひと皿分盛ってくれて、それで、半皿分の料金を取るのだった。そのうえ、ゆっくりとパンを食えるだけ食う。嫌な顔をされるどころかテーブルのパンを盛りたしてくれたりもしてくれた。
たぶん、付け合わせのタマネギをお代わりする人はほとんどいないと思うが、タマネギをお代わりしたりもした。「ソーアン、ソーアン」と言って、お代わりを頼んだ。はじめのうちはなかなか通じなかったが、それは、発音が悪いことはもちろんだが、タマネギのお代わりをする人がいないという証拠でもあった。だんだんと発音がよくなったようで、スムーズに通じるようになった。(それもいかがなものかと思ってしまうが)
半切りの生のタマネギをそのままかじるのだが、辛い。その辛さが胃を沈め、食を進める感じがしっかりと伝わって、トルコ料理にはいい。

そんなことを思い出したのは、サラダに入れるタマネギを切って、その端っこをそのままつまみ食いしたからだった。タマネギの辛さがそんなことを思い出させた。涙が出そうになったのはタマネギの辛さのせいではない。
トルコではよくしてもらったと今でも思う。







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