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なまはんか心理学(13)アフォーダンスは、踊らされるダンスなのだ。(なのかも。) [カウンセリング・心理のこと]

アフォーダンス(affordance)というのは、afford(与える、提供する)という言葉から、ギブソンが作った造語だ。ほとんどの場合日本語には訳されず、そのまま使われていると思う(学術的なものには、「行為の可能性」などともあったりもする)。すとう的にあえて訳すとすれば「存在の供与性」というのがいいと思うが、どうであろうか。知識のある方に是非御指南いただきたい。

「アフォーダンスとは環境が動物に提供するもの。身の周りに潜む「意味」であり行為の「資源」となるものである。地面は立つことをアフォードし、水は泳ぐことをアフォードする。・・・」(『アフォーダンス入門』佐々木正人)

ところで、
大学を卒業したての頃、定時制の高校で教諭という仕事をしていたことがあった。田舎の定時制で、全体に生徒数は少なく、一番少ないクラスで6人だった。その6人が、全日制の35くらいある机と椅子のセットに、仲良し女子の二人だけが隣同士で、あとはみごとにバラバラにすわる。
今も尊敬する先輩教諭が「この子たちだって、6人がぴったり入る教室だったらちゃんと勉強するのに」とよく言っていた。理屈はわからないながら私も確かにそう感じていた。
学校は勉強することをアフォードする。教室もまた勉強することをアフォードする。
全日制のある一人の学生にとって、教室と34人のクラスメイトと教諭は、勉強することをアフォードする。しかし、定時制のある一人の学生にとって、29の空席と5人のクラスメイトというのは、勉強することをアフォードするのだろうか。バスケットボールのコートが2面取れる体育館に、バラバラにすわる6人を想像すればいい。何か特殊な試験ならいざしらず、共に学ぶという環境でないことは明らかであろう。
学校に集めておいて勉強することをアフォードしない環境に押し込めていたのだから暴力的だった。

別の例。
「私には超能力があって、あなたが任意にひいたトランプのカードを当てることができる」という手品ができる。私は相手がどのカードをひくかわかっているわけではない。しかし「特定のカードをひくようにアフォードしている」という言い方が今ならばできる。今まで使ってきた言い方だと、そのカードをひくように「仕向けた」ということだが。

コップの取っ手などはかなりわかりやすい。コップの取っ手は、そこを手に持つようにアフォードしている。ここを持てという意味がそこにはあり、持つように仕向けられている。

私たちが選択していることは、自分で選択しているようで、環境からアフォードされていることがものすごく多いのではないだろうか。一枚のカードを自分で選択したと思いながら、実はひかされているように。生命体が選択的な行動をしようとしたときに、その環境には意味が生じ、アフォーダンスが生じる。
環境のどの部分が、どれだけアフォードしているのかというのが、手品のトリックのように掴めない以上、たとえば、私が今こうしてキーボードを一つひとつ打って文字にしているが、こうした選択的な行動も、実は私が選択しているのではなく、時間的環境も含め、さまざまな環境が供与したものから、こうするように仕向けられているのではないとは言えない。自分のステップを踏んで踊っていると思いながら、じつのところ踊らされているとも考えられる。
踊るアフォー、か。













※うわっつらだけを、ちょっとなぞっただけで、アフォーダンスは本当はとっても難しくて、
私なんぞにはわからないのですよ。








丁寧に使ってきたらんぼうTシャツ [日々の生活のこと]

だいぶ前になるが、みなみらんぼうさんとお仕事をご一緒させてもらったとき、
らんぼうさんからオリジナルTシャツを頂戴した。
胸に似顔絵とサインの入ったもの。大切に使っていたが、今日洗いざらしを見たら
さすがにちょっと疲れてきていた。
記念ですから、写真を撮っておきましょう。
ご一緒させてもらったのは雑誌の仕事。伊豆の山を歩いた。
機材を持って、とっとことずいぶん前に行き、歩いてくるらんぼうさんを
前から撮ったりしてました。
ちなみに、らんぼうさんは見たとおりの柔らかな感じの素敵な方でしたよ。


ranbou-tshirt.jpg

にんじんの種を蒔いてみた [日々の生活のこと]

比較的近いところに、「自然農法」で作った野菜を売っている小さなお店がある。
そのおやじさんがいう自然農法とは、畑に肥料をやらない(肥料として売っている
肥料のことで、たぶん、野菜クズなどは大丈夫なのだと思う)、もちろん農薬は使わない、
だいたいそういうことらしい。土はよく空気に触れさせた方がいい
といっていたことがあったから、不耕起というわけではない。
先月、クリスマスが近い頃に、おやじさんと話をしていたら、
にんじんの種まきはこれからでも大丈夫だというのだ。
長野にいたときには、夏、お盆の頃に蒔いたと思う。沖縄でも、にんじんに関しては
たいして変わらず、やはり夏ころに蒔いて、冬から春頃に収穫するのが一般的だ。
おやじさんが言うには、土に必要以上の肥料がないので、なかなか花を咲かせようとせずに
根に栄養がゆくということだ。
少し古い種ではあったが、糸満の喜屋武(きゃん、と読む。にんじんの大生産地)の農家が
使っているかなり高級な種が残っていたので、蒔いた。クリスマスが過ぎていた。
収穫できるのか今でも半信半疑だ。