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諸富先生のサインが出てきた [カウンセリング・心理のこと]

ちょっと用事があって諸富先生の書いた
『カール・ロジャース入門 自分が自分になるということ』
という本を取り出した。
見返しに書いてもらった諸富先生のサインを見つけた。
たぶん諸富先生のベーシックエンカウンターグループを受けた時に、
持って行ってサインをしてもらったのだったと思う。

「どんな自分も大切な自分」

2005年の日付がある。
あのときに受けたこの言葉の意味と、今の私が受け取る意味とはだいぶ違うように感じる。
意味がわかることと、身体が感じることは全く別のものだね。

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日本、小径計画 [いろいろ思うこと]

小径計画(こみちけいかく)ということを考えた。
どういうことかというと、ただその地域そこ地域で、小径(基本的には一本道)を
整備する。そこに名前をつける。何でもいいのだが、思いつきで書くと・・・
「やんばる横断小径」沖縄本島北部、やんばる地域を横断するというコース。
歩行距離21キロ。宣伝文句は「歩くからこそ出会えるヤンバルクイナ」とか。
21キロだったら、途中にトイレときゅうけいができる東屋を作ることが必要だったり。
以前住んでいた長野県阿智村だったら、「あぜ道だけを歩いてもこんなに歩ける小径」14.7キロ。
「おひな様の小径」1.3キロ。
京都なら、それこそそのまま「哲学の小径」から始めてなにやらたくさんできそうだし。
富良野なら「恋人と織るパッチワークの小径(秋がお勧め)」
鳥取砂丘なら「砂だけの小径(体力ある人限定)」でもなんでも。
福島にだったら「智恵子が愛した小径」があったらちょっと歩きたい気分。
原宿表参道なら「こんなに人がいるのに小径」1.5キロ
友人が奈良県の十津川村に住んでいるが、「山奥すぎて誰も来ない小径(でも山菜や
キノコとれるかも)」といわれると、じゃあ、オレがいってやるぜと言いたい気分。
田舎の隣町はダリアが有名なので「ダリアの小径(期間限定)」ベタでOK。
たまたま今日ラジオで聞いたのだが、その地域では棚田の土手の草刈りが大変だから何か植えようということになって、みんなで話し合ってシバザクラを植えたのだそうだ。それがなかなかいい風景で季節には訪れる人も増えているらしい。そのような所にも、たとえば「早春の風に吹かれるシバザクラの小径(春限定)」などなんでもいい。
名前がついていれば、「そこに」行こうと思う力が働く。
ようは何でもいいのだが、安全に歩ける道があって、そこに「なんとかの小径」という名前があって、
距離によってはトイレの設置、場所によっては駐車場の確保が条件となったり、
あるいは、簡単に往復できない径では、径の端に公共の交通アクセスが必要だったりもするだろう。

金閣寺に名前がなかったら今ほど人は訪れない。
「百名山」があると百名山に行ってみたくなる心理。
登山では登山用品の店が儲かるだけだが、「小径」をつくれば、地域の活性化が見込める。
登山の道具をそろえずに歩け、健康にもよい。地域の共同体意識が生まれやすい。
整備の予算があまりかからない。地域をきれいにしようという意識が高まる。










なまはんか心理学(12)オープンダイアローグ [カウンセリング・心理のこと]

オープンダイアローグというのは、フィンランドで実践され始めている精神科治療(主に統合失調症)のための技法で、堅苦しくいうと「急性期精神病における開かれた対話におけるアプローチ」というものらしい。ダイアローグとは対話という意味。
フィンランド全国でおこなわれているわけではなく、特定の病院だけでおこなわれている。病院に依頼の電話が入ったら、電話を受けたものが担当者になり治療チームを作り(病院内で医師とか看護師とか心理士をかき集めるらしい)、24時間以内に初回のミーティングをおこなう。(クライアントの自宅に医療チームがみんなして押しかけることが多いらしい)
ミーティング全体のメンバーは、本人(クライアント)と本人に関わる重要な人なら誰でもよく(家族・親戚・ソーシャルワーカーなどなど)、毎回そのメンバーでミーティングがおこなわれることになる。
このミーティング(話し合い)は、クライアントをどこかへ導くためのものではなく(つまり「治療」という概念でクライアントと対応しない)、「専門性を持ちながらも平等に話す」というだけのもの、なのだそうだ。クライアントの言葉をさまざまな方向から受け止め返してゆくので、効果はめきめきと現れているらしい。
この療法は国立の病院だからできるのだと思うが、人材、経費ともにたいへんだろう。
オープンダイアローグでは、統合失調症の方をおもなクライアントとしているので、話しの中では妄想なども当然出てくる。そうした妄想なども、カウンセリングとしては当たり前のことだが否定することなく丁寧に聴いてゆく。
基本はそのようなことで、つまり「みんなで傾聴!」ということになるように思うがどうだろうか。最新の情報はわからないが、日本では統合失調症には(一般的には)カウンセリングは逆効果でよくないと言われているので、オープンダイアローグとは全く反対のことをしていることになる。
じつは、知りあいのカウンセラーでも、ごく普通に統合失調症の方にカウンセリングをしていて、効果を出しているという。
オープンダイアローグのことを読むと、人は自分の心を聞いて欲しいのだということを改めてつくづく感じる。それから、グループダイナミズムのパワフルさを。

座禅用の木製座布団というか、木製腰敷き [日々の生活のこと]

座禅用の木製座布団というものを作った。木製なのに座「布団」というのはどうもしっくりこないが、実際の商品を見てみると、どうもそういう言い方をしている。個人的には「木製腰敷き」とか「木座」というのがまあまあ当てはまるかなと思うのだが、まあ、どうでもいいか。

作り方(必要ないと思いますが・・・)
杉材(100ミリ×20ミリ×長い)を33センチくらいに切り、横3枚その上に直角になるように3枚、またその上に直角になるように3枚、というふうに貼り合わせる。釘などは一切使わずに、ボンドで貼り合わせたかったので、一枚貼ってはクランプでがっちりと挟んで一晩おく、という作業を繰り返す。
次に、適当な大きさの円形のもの(大きめの鍋のふたとか)で作りたい大きさの円を描く。
大きく切り落とすところはのこぎりで切り落とす。
次に、グラインダーに木材削り用の刃(やすり)をつけて、深削りにならないように気をつけながらまんべんなく削ってゆく。
手で縁を触って納得ゆくだけ円形になったら、腰をかけるときに角がないように、角の部分を削る。
グランダーで円周、角落としが充分できたところで、仕上げ用サンダーでなめらかにしてゆく。
以上が木材加工。
それが終わったら、砥の粉で目止め。充分乾燥したら拭き上げる。
柿渋に色づけように弁柄(べんがら)を入れて溶く。(今回は茶色を使用しました)
それを、木目に沿って布ですり込むように拭く。
乾燥したら、できあがり。
以上
文字にするときわめて簡単です。
ちなみに、これはかみさん用で、50年使うと言っております。

しばらく前にちゃぶ台を作った。その時にも思ったのだが、円形のものは、最終的には手で触って円形具合を確かめるしかない。その感じが、作っていてなんとも手作り感が深い。
もちろん簡単ではない。

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貼り合わせるときに木目を合わせてみながら、
ああでもないこうでもないと考えるのもまたいいものです。

みずうみコレクション(7)白龍湖 [旅のこと]

私の育った町の外れには、白龍湖という、湖というよりはむしろ沼に近いような湖があった。私の育った町は、南に米沢、北にその町がある置賜盆地という水田が広がる、さほど大きくもない盆地にあった。
盆地であるから、その昔は湖底であったのだろうが、そのまた深いところが白龍湖となって残っていた。
私が小学生の頃は、周りの水田と湖の境が判然としないような状態だった。それよりもまだ10年くらい前だと、谷地船という底の平らなボートに乗りながら田植えをしている写真が残っている。

白龍湖にはヘラブナと雷魚がいた。
湖の一角に小さな桟敷をもうけるようにして売店を兼ねた小さなボート小屋があり、黄色い塗料のはげた貸しボートがつないであった。
小学生の頃、日曜日の午前に、糸と釣り針をつけた一本ものの竹竿に、ヘラブナ用の餌としては定番だった練りポテト(?)をもって出かけたことがあった。子どもだったから、ボートに乗ろうとは思ったこともなく、いつも湖と陸との境だと申し訳程度に木の杭を打ったこちら側からウキを投げた。
白龍湖では、一度たりとも当たりがあった試しさえない。いつもポテトが溶けてなくなっていた。釣れないつまらなさを、腹が減ったことを言い訳に昼前には帰った。
そうやって何度かひとりで釣りに行った記憶があるが、釣りからは遠のいていった。魚は、私には釣れないものだということを学習してしまった。

白龍湖からそれほどはずれないところを国道が通って、上山市、山形市へと抜けていた。その辺りは急な上り坂になり、鳥上坂(とりあげざか)といった。坂上からは盆地が見渡せた。特に山形市の方面から米沢市の方に向かうときには、山間を走っていた風景から一変して、眼下の白龍湖、丁寧な長方形に形取られた水田。それから、天気が良ければ米沢市の向こう側に横臥する吾妻連峰が見えた。空も広がった。

母のことがあった頃だ。一度白龍湖に立ち寄ったことがあった。田舎を離れてから初めてだったと思うので、30年ぶりだったかもしれない。
ボート屋はつぶれ、ボートも浮いてはいなかった。あんなボートでも浮いていないと物足りないとは思うものの、いつまでも谷地船に乗って田植えをするわけではあるまいと思う。
湖と陸の境には茅が生え、湖と陸の縁が明瞭になっていた。そして何よりも、沼のような湿地のような白龍湖は、年老いたように小さくなっていた。
私の思い出を守るためにこの世が存在するわけではない。私の思いとは関係なく流転することをまた知っただけだ。





みずうみコレクション(6)ウユニ塩湖 [旅のこと]

みずうみコレクションといっても、なにか特別な湖や川や海をコレクションしているわけではない。世界遺産を制覇するぞとか、そういったノリでは全くない。ただ個人的に思い出に残ったものをたまに書いているだけだ。
そんなコレクションではあるけれども、ウユニ塩湖はその中でも変わり種のひとつだ。

その夏、ペルー、ボリビアへ1ヶ月半の撮影旅行をした。日本の夏休み(といっても、フリーのカメラマンなので勝手に休んだだけだが。その間、多少仕事をなくした)、南半球では真冬。
ボリビアで一ヶ月くらい過ごしたと思う。町から町へバスで移動するごとに、標高が変わり、緯度が変わり、気候が変わったのを記憶している。
何という町からだったか憶えていないが、(ロンリープラネットのガイドブックを開けば、思い出すのだろうが、そのガイドブックは他のガイドブックと一緒にガムテープに縛られた段ボールに押し込まれたままになっている)その夕方ウユニ塩湖のほとりの町までゆくバスに乗った。ウユニ塩湖とは関係ないが、そのバスはボリビアで乗ったバスの中でもおんぼろで、昭和30年代のおもむきで、窓が閉まりきらないところがあったし、それに、一番後ろの席の真ん中だったから、だいたい想像してもらえると思う。
南半球では南にゆくほど寒くなる。バスは南下していったし、そんなバスだったから、真夜中を待たずにシュラフを出してすっぽりと身体を入れた。
真冬の午前4時頃にバスは小さく地味な町に着いた。

ウユニ塩湖への一日ツアーに参加した。雪原のように真っ白い塩の平原が続くなかをバスは走った。お客さん向けに平原の中で停まると、ガンガンに固まった塩を靴の底で砕いたりした。ほとんど砕けることはなかったが、お土産に少しはもって帰ったかもしれなかった。
塩湖の中に、島のように少しばかり突き出たところがあって、そのひとつに上がって時間を過ごした。そこには巨大なサボテンがあって、なにか珍しい生き物を見るようにして写真を撮った。
http://www.ningen-isan.com/tabisora/pic6.html
帰路についたときには夕暮れ時だった。
http://www.ningen-isan.com/tabisora/pic16.html