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曖昧さの中に [いろいろ思うこと]

スクールバスを見て、自分が乗っているわけでもないがちょっと寂しく思ったりする。
学校にいるわけでもない、家にいるわけでもない、そんなどっちつかずの空間に道草は生えていて、その草をかじって、金儲けには役立たないことを育ててもらった。
起きているわけでもない寝ているわけでもない、まどろんでいる時間に何かわからないものを垣間見たりした気がする。
昼のように明るいわけでもない、夜のように真っ暗なわけでもない。そうした薄暗闇にいつもはいない何かが潜んで、かくれたままじっとこっちを見ているのがわかった。
寝る前に見た、木目がくっきり浮かぶ杉板の天井の、木目にも板の隙間にもいろんなものが住んでいて、毎晩じっとこちらを見ていた。
旅をしているとき、つまり、社会で働いているでもない、ご隠居なわけでもないというそんな時間の中じっとしていると、ふたをして重しの石を乗せていたはずなのに、そのふたの下の何かが、重しの石を揺らしてふたを持ち上げ、その隙間からこちらをのぞく。
体験したことはないが(正確には体験した記憶はないが)生と死の間にも、どちらでもないような時空間があるのだろう。日本人的にいえば、三途の川を渡っている途中のような。

そうした曖昧な時空間に命を吹き込んだひとりが水木しげるだった。
あるラジオの投書に「小さい頃、近くのどこぞの山の中腹に妖怪ポストがあるという噂が出て、友だちと冒険に行った」というのがあった。このてきとうであいまいなのに、妖怪ポストを探す冒険に行ったというが、見つけられなかったはずだ。・・・ないしょなのだが、・・・じつはむかし砂かけばばあからこっそり妖怪ポストのあるところを教えてもらった。ほんとはあそこにあるんだぜ。