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パリでの出来事 [いろいろ思うこと]

パリでの惨事には言葉がない。(合掌)
私が旅をした中で、イスラム圏は、パキスタン・イラン・トルコ・シリア・ヨルダン・エジプト、それからイエメン。ほかには、地域として東アフリカの海岸沿い。都合2年弱の期間になる。

イスラム過激派、というのがニュースになるが、イスラム教の国々を旅した感じとしては、敬虔なイスラム教徒も多い。そうでない人もそれなりにいる。それはきっと、アメリカにしてもいろんなクリスチャンがいるだろうし、ヨーロッパの国々にしてもそうなのではないだろうか。(ましてや日本は・・・)

言論・表現の自由。それは護られなければならない。
では、たとえばこのような場合はどうなのだろうか・・・
(たとえばでも書きたくはないが、伝えたいことを感じてほしいので、すいません)

教室で、ある子に向かって
「おまえみたいにくさいヤツは学校に来るな!!とっととくたばれ!!」

あるヨーロッパの人が
「○○なんか、あんとき皆殺しにされればよかった・・・」

風刺画(?)で、マリア様の股間からイエスキリストが顔を出しながら、吹き出しに
「処女懐胎?んなわけね〜よ。不倫に決まってるでしょ!」

「たとえば」でもものすごく不快に感じられたことでしょう。(申し訳ない)
書く方だって気分のいいものではないが、この不快さを感じてほしかった。
「意見の違い」などということではない。
言っていいことといけないことがある。
描いていいことといけないことがある。
自由は、人の人としての尊厳を尊重した上で、その上で自由なのだ。
たとえば先に書いたものはどれも、人としての尊厳を冒涜した暴力でしかない。
許しがたい、自由という皮を被った暴力でしかない。
(暴力は、ふるう方は「そんなつもりではない」とよく言う。そして、ふるわれたときに
「それは暴力だ!!!」と声を荒げていう・・・今回のケースはどうなのだろうか)

決して、人を殺した者を擁護するものではない。

イスラム教では、偶像というものを持たない。
顔も形もわからない(ない)神(この場合は唯一神アッラー)に対して、
それを何かしら形に表すのは不遜に過ぎる、という。
アッラーの預言者であるムハマッドに対しても、同様にカタチ(偶像)で現すことはないし、それもまた不遜に過ぎ、決してしてはならないことなのだ。
ましてや、それを茶化したりすることは、それは風刺などといって笑えるものではなく
戦争を仕掛けているようにさえ私には感じられる。

『仏週刊紙テロ:表現の自由守れ!漫画をツイッターに投稿』
というところに
「ユーモアがなければ私たちは死んだも同然だ」
という風刺画(?)があった。
敬虔なイスラム教徒にとっては
「アッラーがいなければ私たちは死んだも同然だ」
と思うだろう。
「アッラーが冒涜されたら、それは自分の命に代えても許せない」
と思うだろう。
それぞれにアイデンティティがあり、尊厳があり、生きる意味がある。
それぞれに違ったそうしたものを持って生きている。

イスラム教徒を擁護するものではない。
イスラム教徒といっても人によって違う。
その当時、イエメンにも何件か外人向けにアルコールを出すホテルがあって、
そこでビールを飲んでいるイエメン人がいたので、(オレ的には結構腹が立って)
「酒飲んでるけど、イスラム教徒なんでしょ?」
と聞くと一瞬考えて
「ボーン ムスリム」
と酔っ払いは答えた。生まれながらのイスラム教徒ということだろうが、オレとしては
「はぁー、なにそれ。ふざけんな。酒飲むんならムスリムじゃないっていえよ。この半端やろう」
そんな気持ちだった。

ラジオで聞いたので、ちょっと間違いがあるかもしれないが、
この新聞社(?)のオーナー(?)のシャルルなんとかが、
「宗教でも風刺の対象になっていい……」
と言っていた。
宗教を風刺の対象にしてはいけないとは思わない。
しかし、風刺をするにはあまりにもイスラム教に対して無知であるし、
何よりも、先に書いたようにイスラム教を冒涜している。
風刺のつもりかもしれないが、暴力でありイスラム教(徒)に対する宣戦布告に思える。

しつこいようだが、殺人を擁護するものではない。それは許すことはできない。

トルコを旅していたときのこと・・・
ある田舎のホテルで、アメリカかヨーロッパの英語を母国語にする若者がホテルのボーイに何か話しているのだが、通じない。彼は何度も何度も同じことを英語で繰り返すが通じない。
彼は、最後には業を煮やし、ボーイに
「なんでおまえは英語がわからないんだ!!!」
と怒鳴った。英語で。
それでオレは彼に
「あんたがトルコ語を話したら、ここはトルコなんだから。べつにあんたの国じゃないし。不満ならトルコに来なきゃいいんじゃない。自分の国に帰ればどう」
といった。こういうやつ、オレ結構腹立つ。
(こいつ、火星人を前にしても「なんでおまえは英語がわからないんだ!!!」なんて怒っちゃうのかな。こういうのは風刺画にいいですね)

フランスはヨーロッパの中ではイスラム教徒は多い。とはいってもマイノリティには変わらない。ちゃんとしたイスラム教徒の心痛はいかばかりか。
もしも、世界のほとんどの国がトルコ語を話しても「なんでおまえは英語がわからないんだ!!!」というのだろうか。














付記)
20代で読んでくれている人がいたら・・・・・
旅をしよう。世界を見よう。
わかり合うには、まず、わからないということを知ろうよ。

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たいすけ

パリでの事件に衝撃を受け
須藤さんならどんなことを仰るのかなと知りたくて
久々にお邪魔しました(先に、ひとつ前の方にコメントしちゃいましたが)

須藤さんの言いたいことは、大変良く分かる気がします。
フランスの風刺画の文化は、歴史の中で育まれた文化であり
とても大切なものだと思います。
また、わずか半年ではありますが、フランスに住んでいた者として
彼らフランス人が、時としてかなりキツイ表現を使い
自分が言いたいことをはっきり言うこと(つまり表現の自由)を
相手の感情をおもんばかることよりも、『やや』優先してしまいがちなことも
知っています。

私は、もしも「これは言うべきことだ」と思って言ったことが
もしも結果として言われた相手を不愉快にしても
それだけなら許容されると思いますが
その場合にも、言う側の根性の根底には
言われる相手の人間としての尊厳に対する尊敬は無ければならないと思います。
風刺画は、表現方法が「笑い」であるということから
果たして表現者の根底に、そうした相手への尊敬があるのかないのか
見極めにくいところが、いささか難しいのだと思っています。

私は、今回の発端となった(らしい)、風刺画の正確な内容を知らないので
それ以上のことは言えません。
どちらのサイドにある人間も
自分とは異なるサイドにいる者への尊厳を持っていれば
こんな悲惨な事件は起きなかったと思います。
by たいすけ (2015-01-11 09:40) 

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